PEOPLE想いをつなげる
『DEAN & DELUCA MAGAZINE』創刊トークイベント vol.2 -前編

REPORT
松浦弥太郎×山村光春
「じっくり『おいしい』について話す会」で、話していたこと。
大阪・梅田 蔦屋書店 -前編
『DEAN & DELUCA MAGAZINE』編集長の松浦弥太郎さん。誰もが知るとおり、その経歴はめくるめく輝きと驚きに満ちています。
とりわけ世間をあっと言わせたのが、1948年創刊の生活情報誌『暮しの手帖』の編集長を、40代の9年間務めたこと。その華々しさとは裏腹に、様々な苦悩があったようです。大阪・梅田の蔦屋書店で行われたトークショーで語られたのは、秘められた当時のエピソード。
最初はなにもわからなかった松浦さんが、様々な出会いを通じて食と向きあい、やがてハッとするような、新たな気づきをつかんでいく。満席御礼の聴講者、聞き手の編集者・山村光春さんと共に、じっくりと耳と心を傾けましょう。
『暮しの手帖』の編集長になって

- 山村
もともとは、
本屋で本を選ぶ仕事をされていた松浦さんが、
生み出す側といいますか、
雑誌『暮しの手帖』の編集長をされると聞いた時は、
本当に驚きました。
きっかけはなんだったんですか?- 松浦
ある日、突然でした。
世田谷文学館のキュレーターの方から
「『暮しの手帖』の展覧会をやることになったので、
展示やガイドブックづくりの手伝いをしてほしい」
と声をかけていただいたのが最初です。
僕は過去の『暮しの手帖』のすばらしさを
いろんなところで書いてましたから。- 山村
そこから、
あれよと自ら関わることになったんですね。- 松浦
当時、40歳でした。
僕はどちらかというとその頃、
インテリアとか身のまわりのことに関心があって。
『暮しの手帖』に入るまでは、
なかなか料理というものに踏み込めてなかった。- 山村
そんな中、編集長に就任したことによって、
何を届けたいという思いがあったんですか。

- 松浦
入社したのが10月で、
リニューアル号が翌年の1月25日発売号。
だから、まったく時間がなかった。
編集長になったはいいけれど、
雑誌づくりに関して右も左もわからない。
今思い返すと、
自分の中での方向性なんて、何一つなかった。
とにかく毎日手を動かして
「こうしてみよう、ああしてみよう」って
迷いながら、なんとか一冊にまとめていく。
やりながら見つけていった感じなんです。
毎日が生演奏に近いつくり方だったと思います。
台所で起きていることをよく学ぶ
- 山村
また『暮しの手帖』というと、
昔からの愛読者の多い雑誌というイメージもあります。- 松浦
そう。
「読者の方がお怒りになるかもしれない」
と考えると、とにかく発売日が怖くて。
そんなカッコよくきれいに、
雑誌づくりができなかったんです。
でも今思えば、それが、すごくよかったなって。
それまで失いかけていた人間味が伝わったというか。- 山村
紆余曲折あったからこそ、
食への関心や意識を深めていかれた。- 松浦
そうですね。
日々の台所で起きていることをよく学んで、
それを料理や家事、あつらえで、
暮らしの新しい楽しさとして提案する。
それぐらいしか、僕にはできなかったんです。- 山村
とにかく、
様子をつぶさに見守り続けること。- 松浦
そのときに初めて
「食」とか「料理」ということに、
自分なりの気付きや発見がないといけないと感じて。
それで、食に向きあい始めたんです。
味は、自分から探しにいくもの
- 山村
この『DEAN & DELUCA MAGAZINE』も、
食がテーマですね。

- 松浦
「おいしい料理」という切り口なんだけど、
これも抽象的といえば抽象的。
おいしい料理って、
どんな料理なんだろうという疑問は
『暮しの手帖』に入ってから、今もずっと考えている。
すごく難しいですよね。
ただ一つ、自分なりに言えるのは、
本当のおいしさというのは、
空腹を満たすものじゃなくて、心を満たすもの。- 山村
その「心」って何なんでしょう。
- 松浦
(料理研究家の)ホルトハウス房子さんが以前
「みんな口がおいしいものばかり食べているから、
注意しないといけませんよ」
と言ったことがあって。
どういうことですかと聞いたら
「口に入れた途端に、
パッとそれが何味だかわかって、
おいしいと思うものは、
醤油とか塩とかの調味料で“付けられた味”だから」って。
子どもが食べるようなお菓子と同じように
「味がわかるという快感」で、おいしいと思っている。
僕はそれも、
ひとつのおいしいでいいと思うけれども、
ホルト先生が言っているのは
「食べ物って、すでに自然が味付けをしてくれている。
実を言うと、味は与えられるものじゃなく、
これは何味なんだろう、と自分から探しにいくもの。
わかりにくいかもしれないけど、
そうやって最後のひと口がおいしいのが、
本当においしいものだ」
と言うんです。- 山村
なるほどー。
素材自体の味が
最後のひと口に宿るということですね。
おいしさは、親切の技術
- 松浦
また、こんな話もありました。
『暮しの手帖』の創業者である大橋鎭子さんと、
キッチンで料理をしたことがあって。
そのとき、僕らは卵焼きをつくったんですよ。
なんてことないだし巻き卵です。
それを鎭子さんに
「味見してください」と差し出したら、
「うーん」って。
「おいしそうじゃない」って言うんです。- 山村
食べる前からですか?
- 松浦
そう。
僕らなりに一生懸命つくったんですよ。
なのにおいしそうじゃないと言われて、
どう返事していいのかわからなくて、
ずっと心に残ってたんです。
そしたらあとで話す機会があって
「鎭子さん、
この前、卵焼き食べてくれませんでしたけど、
何がだめだったんですか。
ひと口食べて、味が薄いとかならわかるけど」
と聞いたら
「親切じゃないの」って言われたんです。- 山村
松浦さんがつくった卵焼きは「親切じゃない」と。

- 松浦
鎭子さんはすごくて
「基本的においしくないものは、この世の中にはない」
という考え方で。
インスタントラーメンでも、ジャンクなものでもおいしい。
年配の方だから、
食べ物に対する感謝みたいなことも、もちろんあって。
でも、そんな人が
「おいしそうじゃない」と言う理由は、
「親切」かどうかだったんです。
「もし、あのとき、
あなたがお皿を温めてくれていたら、
私はそれがどんなに簡素で味気ないものでも、
おいしく感じるのよ」って。
だからおいしさって、料理の技術じゃない。
何をどのように食べるのか、
いわば親切の技術だと。
それを聞いたとき、自分が情けなくなったんです。
まったく、なにもわかってなかったと。
これはどこどこのスパイスで、
どこかの高いお肉を買ってきて焼いて、
お皿にポンって置いて、
どうだ、おいしいでしょう! ではないんですよね。
料理とは、ものではないんです。- 山村
食べ手とつくり手の関係が、
ちゃんとそこにある。- 松浦
そう。
だからお箸を出すときも、
乾いたままじゃなくて、
先の部分を一度、水に濡らして、
よく拭いて出しなさいと。
そうじゃないと、
ごはんやおかずがくっついたりするから。
お皿は、温かいものをのせるなら、
必ず事前に湯煎で温めておくこと。
そうやって精一杯の親切を込めて、
「これを食べてもらいたい」と思って出せば、
おいしいものになるんだからって。
お金をかけずとも、ごちそうはつくれる

- 山村
それが雑誌としての哲学でもあったんですね。
- 松浦
『暮しの手帖』として伝えなければいけないのは、
まさにそういうことでしたね。
たとえばレストランに行って、
どんなにおいしくても盛り付けはきれいでも、
どうやって食べたらいいか
わからないものってありますよね。
手で食べるのか、
ナイフを使うにしても、きれいに切れないものだったり。
そういうのも不親切だって言うんですよ。
大きさや形、温度、柔らかさなどを、
食べる人を見て変える。
子どもなら子どもが、
大人なら大人が食べやすいように。
そういう親切が込められれば、
お金なんかかけなくても、ごちそうがつくれる。
味付けや食材、調理のルールだけでなく、
親切の技術を気付いてもらえるように、
家庭での知恵として、
わかりやすく楽しく伝えるのが、
『暮しの手帖』の役目なんです。- 山村
確かに。
ただの情報だけではないと。- 松浦
誰でもできることだし、必要な道具もそんなにない。
毎回はできなくても、
自分の中で大切なこととして親切心を持っておくことで、
初めておいしさが生まれるし、みんなが感動する。
そうやって自分が学んできたことがあって、
今に至り
編集をしたり、文章を書いたりしているわけです。- 山村
それは、文章においても言えますか。
- 松浦
そう。
下手でも、
もしかして文法が間違えているだとか、
矛盾があったとしても、
読んでもらう人に対して、
自分なりの親切が込められていれば、
心に届くと思う。
上手になることが、優先順位が高いわけじゃない。- 山村
なるほど。
「親切」って本当になんにでも言える、
根本的なことなのかもしれないですね。

松浦弥太郎 YATARO MATSUURA
エッセイスト、クリエイティブディレクター。十代で渡米。アメリカ書店文化に触れ、エムアンドカンパニーブックセラーズをスタート。2003年、セレクトブック書店「COWBOOKS」を東京・中目黒にオープン。2005年から『暮しの手帖』の編集長を9年間務め、その後、ウェブメディア『くらしのきほん』を立ち上げる。現在(株)おいしい健康・共同CEOに就任。『今日もていねいに』『考え方のコツ』『100の基本』ほか、著書多数。