PEOPLE想いをつなげる
ブルックリンから蘇るアメリカのアップルサイダー文化

世界各地で長い歴史を持ち、地域によって「シードル」や「サガルド」などとも呼ばれる、リンゴを発酵させてつくるお酒「アップルサイダー」。かつてアメリカで「ビールよりポピュラーだった」ともいわれています。
この「アップルサイダー」という食文化に情熱を燃やす『BROOKLYN CIDER HOUSE(ブルックリン サイダー ハウス)』のピーター・イーさんを訪ね、その想いを伺いました。
Photography : Yusuke Abe(YARD) Text : Masaya Yamawaka
※このインタビューは2018年Holidayに公開したものを再編集しています
材料はリンゴだけ、
白ワインのようにつくるお酒
マンハッタンから北へ車で2時間ほど。ハドソン川の両岸に広がる「アップステート」と呼ばれるこのエリアは、若いファーマーやアーティストたちが移り住み、新しいコミュニティが生まれつつある地域。ピーターさんのリンゴ農園もここにあります。

ピーター・イーさん。化学肥料なしで育てたリンゴからアップルサイダーをつくっている
「よく来たね。さっそくサイダーを飲むかい?」と、笑顔で出迎えてくれたピーターさん。約5年前にこの農園を手に入れ、リンゴの生産からアップルサイダーづくりをスタートしました。2017年、ブルックリンに醸造所とレストランをオープンさせ、アップルサイダーに情熱を傾けています。
「僕たちのアップルサイダーは、白ワインと同じ製法でリンゴを発酵させてつくる。ハードサイダーとも呼ぶね。アルコール分は7%前後で、材料はリンゴだけ。砂糖も保存料も炭酸も一切加えない。こんなやり方でアップルサイダーをつくっているのはN.Y.で僕たちくらいだと思うよ。さあ、チアーズ!」
冷えたアップルサイダーをワイングラスで。みずみずしい酸味がほのかな発砲とともに喉を心地よく刺激し、野性味豊かなリンゴの風味に満たされます。白ワインのようで、ビールのようで、シャンパンのようでもあり……。生まれて初めての味わいに驚いていると、ピーターさんから意外な言葉が。
「正直に言うと、僕は最初、アップルサイダーを『おいしくない飲みものだ』って思っていたんだ」
たった1秒、
バスクで飲んだアップルサイダーが人生を変えた
「アップルサイダーをおいしいと思っていなかった」というピーターさんが、サイダーづくりを始めるまでに、どんなストーリーがあったのでしょうか。
「僕は25年間マンハッタンでワインセラーの仕事をしていたんだ。その頃、アメリカやヨーロッパでつくられたアップルサイダーを何度も飲んだことがあったよ。でも一度もおいしいとは思わなかった。当時の僕は、サイダーよりワインの方が素晴らしい飲みものだと思っていた」

爽やかな酸味が特徴の「ハーフ・サワー」。他に辛口の「ボーン・ドライ」リンゴの甘みを残した「キンダ・ドライ」など
アメリカに出回る一般的なアップルサイダーは、砂糖や添加物入りの甘いものが多く、当時のピーターさんにとって「アップルサイダーは安っぽくて庶民的な飲みもの」という印象だったそうです。そのイメージを覆す転機が、スペインのバスク州で訪れます。
「5年ほど前、ワインの買い付けでスペインのバスク州を訪れたとき、友人に連れられてサイダーハウスに行ったんだ。内心『サイダーなんかより早くワインを飲みに行きたいのに』と思いながらね。ところが、そこでアップルサイダーを一口飲んだ瞬間、電撃が走った。たった1秒のうちに、アップルサイダーの本当の魅力が理解できたんだ。今まで本当に素晴らしいサイダーを飲んでいなかったこと。最初は受け入れ難いものの中にも、本当に素晴らしい飲みものや食べものがあるということに気がついた。このアップルサイダーという飲みものの素晴らしさを、N.Y.に戻って伝えないといけないと思ったよ」

まだ若いリンゴの木。もともと植えられていた食用のリンゴを、すべてアップルサイダー用のリンゴに植え替えたそう
アップルサイダーはヨーロッパ各地で伝統的につくられてきた飲みもの。イギリスの「サイダー」やフランスの「シードル」、そしてバスクの「サガルド」など地域ごとに長い歴史を持ちます。こうしたヨーロッパのサイダー文化が植民地時代のアメリカに伝わり、独自の発展を遂げていったといわれます。
「アップルサイダーの魅力を知るには、何度か試す必要がある」と、ピーターさん。ビールやビターチョコレートやワインのおいしさがわかるまでに時間がかかるのと同じだと。
「一度アップルサイダーの素晴らしさがわかると、『これ以上に素晴らしい飲みものはない!』って思うはず。僕も、僕の家族もそうだったよ」
失われたアップルサイダー文化を復活させたい
N.Y.に戻り、いざアップルサイダーをつくろうとしたピーターさんですが、大きな問題が立ちはだかります。
「いくら探し回ってもサイダーに適したリンゴが見つらなかったんだ。本当のアップルサイダーが今のアメリカではほとんどつくられていない。サイダー用のリンゴもほとんど手に入らない。それで自分でリンゴから育てることを決めたんだ」

農園内のテイスティングルーム。農園のオープン期間は4月〜11月頭頃まで
どうしてアップルサイダーはつくられなくなったのでしょうか。その背景にはアメリカのアップルサイダーが持つ不運な歴史があります。
「100年前のアメリカでは、アップルサイダーはビールや水より一般的な飲みものだったんだ。ところが禁酒法(1920〜1933年)の時代、アルコールが禁止されてアップルサイダーもつくれなくなった。困ったのはリンゴ農家で、サイダー用のリンゴは酸っぱくて食用に向かないから売れない。彼らは仕方なく食用の甘いリンゴや他のフルーツに植え替えたんだ。それ以来、禁酒法が終わった今でもアメリカのアップルサイダー文化は復活していないんだよ」

農場内のフードブース。窯焼きピザやハンバーガーもたのしめる
「失われたアップルサイダーという食文化を再びアメリカに広めることが僕の使命だと思っている」と話すピーターさん。それに応えるように、アップルサイダーは食のアルティザンムーブメントの動きとして、ニューヨーカーの注目を集めているようです。後日訪れたマンハッタンのクラフトチーズストア『サクセルビー チーズモンガーズ』のアン・サクセルビーさんはこう話してくれました。
「N.Y.のクラフトフードやフードアルティザンのシーンで最初に注目されたのがおそらくクラフトビールで、その次がチーズ。どちらも今は定着しつつあるわ。そして、今まさにみんなが魅力に気づき始めているのが、アップルサイダーなの」
誰でも気軽に
アップルサイダーをたのしめる場所を
ブルックリンに移動し、ピーターさんたちの醸造所兼レストランを訪れます。ギャラリーやライブハウスが集まるヒップなエリア、ブッシュウィック。「バスクのサイダーハウスにイスピレーションを受けた」という、サイダーをたのしむための場所がここです。
「この場所ができたのは2017年。ここで発酵と熟成をしてサイダーをつくっているんだ。レストランとバーもあって、新鮮なサイダーと料理を気軽にたのしんでもらう場所だね。僕たちのサイダー以外にも、いろいろなサイダーを扱っているよ。ここでは樽からダイレクトに飲める。ほら、サイダーキャッチングだ、グラスを持って。
上質なワインがすべての上質な料理と合うとは限らないよね。でも、僕の経験上、アップルサイダーは90%以上の料理とマッチングがたのしめる。フライやトンカツもいいし、キムチなんて最高! 砂糖を加えてないから二日酔いにもなりづらいし、毎日飲んでも安心だよ」

レストランではステーキや野菜のグリルなど自然な素材を活かしたシンプルな料理とのマッチングが
フランスのノルマンディー、スペインのバスク、オーストリア、イギリスやアイルランドなど、アップルサイダーは各地でつくられ、地域ごとに独自個性を持っているそうです。
「サイダーバーには24のサイダータップがあって、僕たちのサイダーに加えて、僕が選んだ各地のアップルサイダーをドラフトで飲めるんだ。いつか世界中のサイダーをここで飲めるようにしたいね」
アップルサイダー文化の中心地として

オープン直後から地元の人たちが集まり、カジュアルにサイダーをたのしむ
サイダーバーでは、気軽にサイダーを楽しめます。
「安すぎるって何度も言われたよ。でも、誰でも気軽に本当においしいサイダーをたのしんでほしいんだ。お金のためにしているわけじゃない。ブッシュウィックは自然派志向の人やローカルのアーティストも多いし、この場所をサイダー文化の中心地にしたいんだ。N.Y.の人たちにサイダーという食文化の魅力を、もう一度知ってほしいから」

協同経営者である妹のスーザンさん、レストランを手伝う二人の子どもたちと
「今、自然農のリンゴづくりに挑戦しているんだ。無謀だと言われるけど、不可能じゃない。アップルサイダーにはまだまだ可能性があるはずだ。僕にとってこれはビジネスじゃない、パッションなんだよ」
どうぞピーターさんのアップルサイダーを体験しに、ブルックリンへ訪れてみてください。人生を変える一口に、出会えるかもしれません。

BROOKLYN CIDER HOUSE|ブルックリン サイダー ハウス
リンゴづくりから手がける、アップルサイダーの醸造所兼バー&レストラン。元ワインバイヤーのピーター・イーさんが休暇で訪れたバスクでサイダーに感銘を受け、元教師の妹スーザンさんとサイダリーを設立。ハドソン川流域のツイン・スター果樹園にて、バイオダイナミクスを実践している。